母に整形を進められる娘(悩み)
気づけば、1ヶ月も更新が途絶えておりました。はてなブログからメールが来て気づきました。
1ヶ月の間には、二つ目のブログを書いていたりなどしていました。
もしよろしければ、ご覧になってみてください。
久々にこっちのブログを更新しようと思ったのは、 何気なくTwitter を見ていた時、とあるニュースを目撃したからです。
なんでも、人工知能 AIが女性の顔を魅力的かどうか採点し、メイクの仕方を提案?するみたいな のを 今、開発しているとか。
これを見ていて、時々思い出す「アレ」をまたふっと思い出したんです。
まだ私が未成年の頃の話。
母「厨、整形したら?」
私「え?」
何の前触れもなく、部屋にすっと 入ってきた母は、私に向かい整形を進めてきました。
あまりにもいきなりだったので、なぜ母がそんなことを言い出したのか全く見当もつかず、ただただ固まった私。
テレビ番組とかに触発されたか、それとも、いつものように一人でいろいろ思い詰めて感情が爆発したのか…
うちの母って昔から、娘の外見に関して割と厳しく干渉してくるタイプでした。でも、それまでの母の方向性といえば「派手にすんな、地味にしとけ」だったので、いきなり整形を持ち出されて大変戸惑いました。
だって整形って外見を綺麗にするためのものですよね?
今までの母の方向性から言ったら「整形するな」の方がよっぽど筋が通ってると思うんですけど…
私は別に美人じゃないけど、整形をしたくはありません。
何故美人じゃないのに整形はしたくないかと言うと、あまり意味が無いと思うから。
整形で綺麗になる人って、はっきり言って整形しなくても元々綺麗な人ですから。外見って要は骨格の問題ですから。
母の発言は気まぐれだったらしく、執拗に勧められる ことはなかったので、結局整形せずに済んだのですが、たとえ気まぐれにしても、普段は娘が綺麗に成長していくことさえ否定的に見るような母が、何故いきなりあんなことを言い出したのか今でも疑問です。
次回は回答をよろしくお願いします。
マヨネーズを食べられなかった私は…(回答)
マヨネーズが苦手な子供にマヨネーズをたっぷり塗ったレタスを食べろと強制する。
これが虐待にあたるかどうかですが…正直わかりません。わかりませんが、酷いです。なんか「イジメ」です、それは。
なんでそんなことしたのか…私も謎ですが、頑張って考えてみますね…
まず、「食べ物の好き嫌いはいけない」これは母の正義でした。
「好き嫌い駄目ですよ」は教育現場でも言われることですし、正しいことが大好きな母なので、私が嫌いな物を食べられない姿は母にとって耐えがたい悪だったのではないでしょうか?
あと、小学校入学前だったということで、好き嫌いがあると給食時に困るという思いが、そういった行動につながったのかもしれません。
いわゆる「しつけ」というやつなのか…
でも、どれだけポジティブ思考で考えようとしても、やっぱり疑問が残ります。
だってあの時その大量マヨを仮に私が食べきったところで、それを機に、マヨネーズ大好き!とかまずならないわけで…
冷静に考えたら、いや普通にほんの少し考えたらそんなのわかるわけで…
めちゃめちゃ頭悪いと思うんです。マヨネーズを食べられない子にする指導やしつけが、レタスに大量マヨを塗って食べさせることって。何なんだそれ…と。
やっぱりあの母の行動は、一瞬のイライラをよく考えずにぶつけられたと考えるのが妥当ですね。
虐待の定義を知らないので、虐待かどうかはわかりません、ごめんなさい。
母の食に対する訳わかんないこだわりは相当厄介なものでした。
私は十代後半で摂食障害を引き起こしてしまうのですが、こういう母の訳わかんないこだわりも原因のひとつだったのではと今では思っているんです。
母の当時の気持ちを踏まえて、母を擁護する形で何とか終わりたかったんですが、、この件に関しては無理でした…しかし過ぎ去ったこと…もう忘れましょう。無理?じゃあそのまま覚えとけばよいです。覚えておいても何にもならないこと、そんなどうしようもないことで、傷ついてる自分…馬鹿らしいですね…
マヨネーズを食べられなかった私は…(悩み)
体調やっと良くなりました!!
体調が良いので、いつもと違って明るい話題が書けそうな気分です。
ただ、肝心の明るい話題が自分の中に無い!!
いつかは読んでいて明るい気分になれるブログを書きたいと思っています…
では、いつも通り今日も悩みを吐露していきます。
私、子供の頃から今に至るまで、マヨネーズが苦手なんですよね。
ほんとにただただ味が苦手で…口に入れると「うっ」となってしまうんです。
まだ幼なかったある日のことです。これも小学校入学前だったと思います。
その日、母親は何故かイライラしていました。
夕食時、母は一枚のレタスに大量のマヨネーズを塗って私に渡しました。
そして一言。「これ食べなさい」
皆さんはこれをどう捉えますか??
私は、「あれって虐待だったのでは」と思っています。
今でも謎です。少量口にしただけで気持ち悪くなってしまうものを、何故大量に食べる必要があったのか。(結局少ししか食べられませんでしたけど)
イラついている母を前にして、食べたくないとは言えず、私は嫌々ながらそれを口に運びました。
ただただ恐怖でした。レタスを顔の前に突きつけられた時。食べる様子を眺められている時…
この謎な出来事について、明日は見解と回答よろしくお願いいたします。
「ママ」と呼んでしまった私は…(回答2)
どうにも体の調子が悪く、更新遅れてしまいました…
前回の記事に対する回答をさっそく…
母の自分への言い方がきつくて、傷ついた。自分の中で、トラウマとなっているそれらをどう処理すればよいか。
これへの回答ですが、昨日、一日考えましたけど答え出ませんでした。
この世に生まれてきた以上、傷つかずに一生を終えることは不可能。
ですから絶対何回かは傷つくわけですから、そのうちの一回として自分の中でカウントしておく、それだけのことですね。
そして、次に生かす。
次とは??
「自分の子育ての際に生かす」と言いたいところですが
私がこの先子供を産み育てるっていうのは実現不可能そう。
これは今の自分にはハードルが高すぎて、多分実現しないこと。悲しいですけどね。
ですが、自分が子供を産み育てないからと言って、世の中には子供が大勢いるのですから…
せめて「元子供からのメッセージ」として現大人たちにメッセージをここから送ります。
どうか、大人は子供に対して優しく穏やかであってください。
「母親は優しく穏やかでいろ」と言うと、ただの男尊女卑で気持ち悪いので、言いません。「大人は子供に対して優しく穏やかでいてください」と、こんなありふれた言葉でこの問題は締めさせていただこうと思います。
このありふれた文句のどこが回答だっていうのか…
ごめんなさい。私も自分で書いててそう思いますが、何一つ良い解決策が思い浮かんでこないんです。さすがはセルフカウンセリング。精神科アレルギーとか言ってましたけど、プロを名乗る方に頼るべきなんでしょうか…やはり。
体調悪くて頭働かず、今日はここまでです…ありがとうございました。
「ママ」と呼んでしまった私は…(回答)
回答も何も、もうすでに結論出ちゃってますね。
笑って「お母さんって呼ばれるほうが嬉しいな♡」これでいいじゃん!
前回最後にこう書いていますけど、そりゃこんな対応をしてくれていれば何も問題なかったでしょう。
でも、私はこうも思ったんです。
それって「母性愛神話」を信じたい人の発想じゃない?って。
上の赤字部分を映像として頭の中で再生してみて下さい。
人によっては、こう言うと思います。
「ぶりっこが過ぎる」
明るくて、優しくて、いつもニコニコ笑顔を絶やさない人。
確かに理想的です。
でもそいう人になるって難しいってみんな思ってる。実際そんな人滅多にいないでしょう。
そんな人滅多にいないってことは、そんな母滅多にいないってことですから…
求めすぎなんじゃないですか。
理想と違ってがっかりでしょうが、あなたが求めすぎなんですよ。
ただね、こうも思います。
あなたがあの当時傷ついた、それはそれで事実なんだから、求めすぎだからと言って、自分が悪かったってことにしなくてもいいと。
言いたい事、伝わりますでしょうか?
傷ついた気持ちを無かったことにする。これはとてもとても苦しい作業です。
事実をねじ曲げるってことですからね…
事実を自分の中でねじ曲げて、自分で自分を納得させる。これこそ滅多に出来る芸当ではありません。
あなたはあの時まだ小学校入学前という幼さ。
どんな自分であれ受け入れて欲しい。そう無邪気に思っていて何の悪いことがあるでしょう…
別にいいんですよ。求めすぎたあなたは一切悪くない。
母もあなたも悪くない。では、どう気持ちを処理すれば…?
明日はそれについて、続きの回答をします。
「ママ」と呼んでしまった私は…(悩み)
「ママって言わないで。気持ち悪いから」
昔過ぎていつのことだったか…小学校に入学する前だったことは確かです。4歳か5歳くらいですね、だから。
母親に「ママ!」と呼びかけた私。
それに対して返ってきたのが、上の言葉です。
シチュエーション的には、
母は台所に立っていて、私は何か言わなければいけないことがあって話しかけた。しかし、上のように注意を受けてしまったため、結局何も言わずその場を離れた。
こんな感じです。
母親は私に「お母さん」と呼んで欲しかった。
この話のオチはこれなんですけど…
今、書きながらだんだん記憶が蘇ってきました。
ニュアンスがちょっと違った。
「お母さん、ママって言われると気持ち悪いわ」
正確にはこうだった、きっと。うん、こうだった絶対。
改めてこうやって書き記してみると、上のセリフと下のセリフじゃ全然違いますね。
上のセリフは、私のことが気持ち悪いと言っているよう。
対して下のセリフだと、気持ち悪いのは「ママ」という言葉であって私のことではない。
やっぱり文字に書き起こしてみるって大切かも。
「なんで私、気持ち悪いなんて言われなきゃいけなかったんだろう」
ずっと胸にしまってきた苦い記憶は、今、開始1分で解決しました。
しかし「ママ」と「お母さん」
どっちでもいいじゃんって思う人、このブログを読んでる人の中に何人くらい居ます?
私は圧倒的どっちでもいいじゃん派なんですけど…
なぜ「ママ」と言ったくらいで、眉をひそめて不機嫌になられなければいけなかったのか。
笑って「お母さんって呼ばれるほうが嬉しいな♡」これでいいじゃん!
この出来事に対してどう思うか、明日は回答の程よろしくお願いします。
精神科医アレルギーと親アレルギー(はじめに2)
あれこれいじってみたものの、一向に調子が良くならないパソコンと格闘すること数時間!!
ようやく次の更新行きます!!
前回、親との関係性を丁寧に振り返っていきたいと書きました。
先の投稿でこんなことを書いている私。
私に病んだ理由があるとして、その理由の一つには確実に「母親の存在」ってのがあったと思う。(当時自分を病んでるとは思ってなかったし、今でもあの頃の自分が精神科に掛かる必要があったかは不明であるが)
こうも書いてます。
何年も経った今、振り返るとよくわかる。どれほど私が母に「私物化」されていたかを…
これらを読んで、こう思った人は少なくないはず。
「これは母親批判ブログかな?」
私自身、自分で書いてて思いました。「すごい一方的に批判してるな」と。
ここ数年「毒親」なんて言葉をあちこちで目にします。
よっぽど「それ相応の理由」がなければ親を批判してはいけないって時代もあったはずですが…
今や世にありふれたものとなった、親子問題を赤裸々に語った書籍やブログの数々。
このブログも、そういったありふれたもののうちのひとつです。
個人の悩みとそれについての個人の思いを書いていきます。
ただ、自分の親がいわゆる毒親だとは特に思っていない私。
何かとてつもない過ちを犯したわけでもない私たち親子。ごく一般的、母と娘です。
何故そんな前置きをするかというと?
ブログを始めて、書いてみて、自分で読み返してみて思ったんです。「何かを告発しようとしてこのブログを書いていると思われる可能性があるな」と。
相手にこんなことされて、言われて、嫌だった傷ついた。そんなことを自分視点で好き勝手語ってますから…
このブログでは、思いっきり自分視点で、特に誰に配慮することも無く語ります。でもそれは、誰のことを言ってるのか、読み手には特定不可能な匿名ブログだからこそ出来ること。
私の目的は、誰かを批判することでは決してありません。
私がこのブログでしていきたい事、それはこれまでの自分自身を冷静に振り返ることで、これからどう生きていったらいいかを自分なりに探ること。タイトル通り「自己のカウンセリング」です。
その目標のため、あらゆる事を綴っていきます。
何か批判的なことが綴られているけれど…その目的が何なのか、個人ブログにおいては不明なことが多く、疑問を持たれてしまうこともあるかと思い、改めて前置きしました。
読んでいただく前に知っておいてもらった方がいいと思って。タイトルにもう一回「はじめに」って書いておきますね。
それでは長い前置きを終えたところで本題に…
いきたいですが疲れたので、また明日書きます。なかなか進まなくてごめんなさい…